友人
こんばんわ。
さて、今日はブログを始めて3日目ですが株ネタだけ書いていくのは少々物寂しいので最近ちょっと感動したことを書いていきます。
先日、教員をしている友人宅で学級通信?みたいなプリントを見つけ、なんともなしに読んだ時のことです。あまりにも感動したのでコピーをさせてもらい、取っておきました。友人曰く、教育評論家の尾木ママの授業で実際に使われていたものをプリントし、毎年配っているものだとのこと。突然死した友人あてに、仲の良かった友人が書いた弔辞らしいです。
やっぱり本当だと思った。それでオマエの家に行って、オマエの顔を見た。死んでいるようには見えなかった。頭の中はは真っ白で、何がなんだかわからなかった。
次に朝、起きると目から涙があふれ出た。そして、オマエのことが頭の中に浮かんできた。涙が次から次に出てきて止まらなかった。
オマエと知り合ったのは小学校1年、一組で同じクラスになった時からだ。オレは、遠くの保育園から来たので、友達がいなかった。おまけに体が大きいくせにいじめられて、泣き虫で、運動神経は最低中の最低で、頭もあまりよくなかった。オマエは、人気があって、走るのは早いし、塾にも行っていないに一番頭がよくて面白くて明るくて、そして誰よりも優しかった。オレはそんなオマエにあこがれていたし、大好きだった。
小学校二年のとき、友達もいなかったオレに誕生日にチョロQをプレゼントにもってきてくれた。
そのとき、600円というのは、オレたちにとっては大変な金額だった。とてもうれしかった。3年になって、一緒にサッカークラブに入った。やはり、オマエは上手でオレは下手だった。4年生のとき、イトマン(水泳クラブ)に入った。やっぱり、オマエは大会に出れるようになったが、オレは幼稚園児と一緒に練習していた。
5、6年になって、オレは野球クラブに入ったが、やはり下手でいつも、みんなで野球やるときは、オレは、みんなにじゃんけんで「いる」「いらない」とかいわれていた。だけど、オマエにけなされた覚えは一度もない。
こんなに差があるのに、友達でいてくれたオマエをオレは大好きだった。オマエは私立の中学に受からなくてまた一緒に学校に行けることになった。中学校に入学してから、また一緒に登校したし、部活のない日は一緒に帰った。
昨日の通夜には行かなかった。家で机に向かってこの文を書いていた。オマエはオレにとって命より大切な友達だ。
朝、遅刻しそうなとき、「内申書によくない」と言って、一緒に走った。オマエはよく遅れて来た。今でも後ろを振り向くと、後ろから走ってくる気がする。玄関で待っていると、「○○ちゃん!」と呼んでいるオマエの声が聞こえてきそうな気がする。
今、オマエをこうして見ていると、「冗談だ!」と笑いながら起きてきそうな気がする。起きてきてほしい。 数えきれないほどの人たちが、こんなにも悲しんでくれる。
オマエはテストでいい点を取っても、決して自慢しなかった。オレがテストでいい点を取れなかった時は慰めてくれた。オレが悪口を言われいると、かばってくれた。オマエは自慢しなかったけれど、これだけたくさんの友達をもって、これは自慢したほうがいいよ。
よくケンカするほど仲がいいというけれど、アレは違う。オマエとオレはケンカしたことがないからだ。
改めて読み返しましたが、自分が中学生のとき、こういう手紙を書けたかと考えるとちょっと無理そうですね。この手紙を全国の中学生の道徳授業に使えばそれ以外にいらないのではと思ってしまいました。自分にとってそれぐらい衝撃的なものでした。
この手紙に出会えたことに感謝です。